マカモラーダを選んだ理由|1999年からの輸入とペルーでの出会い

ペルー産マカモラーダ マカについて
この記事を書いた人
BIOSUPLI広報担当のユウ
ユウ
(BIOSUPLI広報担当)

1999年ごろの日本では、マカはまだほとんど知られていませんでした。そんな時期に、なぜこの植物を輸入しようと思ったのか。数あるマカのなかで、なぜ濃い色のモラーダだったのか。 当時の輸入に携わった方に、きっかけから現地での苦労、天日乾燥へのこだわり、チャコン博士との交流、現地の人たちとのつながりまで、じっくりうかがいました。

この記事でわかること
 ✔️ 1999年にマカの輸入を考えたきっかけ
 ✔️モラーダに注目した理由
 ✔️ 輸入を始めた頃の苦労
 ✔️フニン地方の環境と天日乾燥へのこだわり
 ✔️チャコン博士との交流
 ✔️農業組合へのトラクター寄贈、学校への文房具寄贈

この記事は、1999年当時のマカ輸入に携わった方からいただいた回答をもとにまとめたインタビューです。当時の記憶や体験はそのまま尊重し、現在確認できる学術資料を補足として添えています。1999年以降の出来事は、時期がはっきりしないものについて断定を避けました。また、マカの健康効果や商品の品質上の優位性を保証する内容ではありません。


マカモラーダとの出会い

現地で大切にされていた、濃い色のモラーダ

ペルー産マカモラーダの原料

ペルー産マカ(紫色がモラーダ種)

――マカモラーダを知ったきっかけを教えてください。

1999年ごろ、ペルーの産地を訪ねたときです。現地では色の違うマカが育てられていて、人々は長年の経験から、それぞれを見分けていました。なかでも目に留まったのが、濃い色のモラーダです。現地の人たちがモラーダを大事に扱っているのを見て、自然と興味がわきました。

――濃い色のモラーダに注目した理由は?

現地では、強い日差しの下でマカを天日乾燥していました。濃い色のマカは、この日差しをどう受けるのだろう、という素朴な疑問があったんです。

誤解のないようにお伝えすると、色が濃いから品質がいい、健康にいい、ということではありません。現地で重宝されていたことと、実際に乾燥している様子を見たことが、関心を持った理由です。

ちなみに、マカに複数の色のタイプがあることは、後年の学術総説でも紹介されています。ただし、これは当時の原料選びに使った資料ではありません。

参考:Ethnobiology and Ethnopharmacology of Lepidium meyenii (Maca), a Plant from the Peruvian Highlands(Gustavo F. Gonzales、2012年)

日本で知られていない植物を、紹介したいと思った

ペルーで行われたマカの品評の様子

ペルーで行われたマカの品評の様子

――「このマカを日本で扱いたい」と思ったのはなぜですか?

日本ではほとんど知られていないのに、ペルーでは暮らしのなかにしっかり根づいている。それがとても印象的でした。栽培の様子や人々の暮らしに触れるうちに、日本でも扱ってみたいと思うようになったんです。

単に原料を輸入したいというより、現地で出会った植物を日本に紹介したい、という気持ちが強かったですね。

輸入を始めた頃の苦労

実績のない原料は、検査が厳しかった

マカの輸入を始めた当時の記録写真

マカの輸入を始めた当時の記録写真

――1999年当時、とくに大変だったことは?

一番覚えているのは、輸入時の検査です。私たちにとっては輸入実績のない原料でしたから、厳しく検査されました。産地で現物を見て納得していても、それだけでは日本に入れられません。必要な手続きや確認をひとつずつこなしながら、少しずつ進めていきました。

当時は、南米から来る品物が慎重に確認される印象もありました。まだ日本で十分に知られていないマカを輸入するのは、簡単ではなかったです。

粗悪品の話を聞いて、産地と仕入れ先を直接知ることにこだわった

――原料の品質に不安はありましたか?

海外では、マカにほかの原料を混ぜた粗悪品が出回っている、という話も耳にしていました。トウモロコシの粉を混ぜたものがある、という話も聞きました。ただ、それがどのくらい広がっていたのか、個別の事例を確かめられたわけではありません。

だからこそ、どこで栽培されて、どう扱われたマカなのかを知っておきたいと思いました。自分で産地に足を運び、作っている人たちと顔を合わせることは、原料を理解するうえで大事な経験でした。

フニンの産地とマカ

土地そのものにも興味がわいた

ペルー・フニン地方のボンボン平原の風景

標高4000m越え、ペルー・フニン地方のボンボン平原の風景

――産地のフニン地方で、印象に残っていることは?

栽培する場所によって、マカの状態が違うように感じたことです。それで、土壌や周りの環境にも関心を持つようになりました。

現地には、土に貝殻やサンゴのようなものが混じっている場所もありました。近くに岩塩が採れる場所があるとも聞きましたし、このあたりは大昔、海の底だったという説明を受けた記憶もあります。実際の地質については別途確認が必要ですが、土地の特徴が強く印象に残っています。マカだけでなく、それが育つ土地のことも知りたくなりました。

フニン高原周辺がマカの伝統的な栽培地域であることは、後年の学術資料でも紹介されています。ただ、現地で見聞きした土壌の特徴がマカの品質にどう影響するかは、個別に調べてみないと断定できません。

参考:Ethnobiology and Ethnopharmacology of Lepidium meyenii (Maca), a Plant from the Peruvian Highlands(Gustavo F. Gonzales、2012年)

チャコン博士が高く評価していたフニン産

マカの研究に取り組んだグロリア・チャコン博士

マカ研究の第一人者、グロリア・チャコン博士

――チャコン博士から、産地について聞いた話はありますか?

博士は、マカはフニン以外でも作れるけれど、フニン産を高く評価している、という話をされていたと記憶しています。それを聞いて、フニンという産地への関心が強まりました。

これはあくまで当時の交流のなかで聞いた評価で、フニン産がほかの産地より品質や健康への効果で優れていると、科学的に証明されたという意味ではありません。私にとっては、産地を大切に考えるきっかけになった話です。

天日乾燥へのこだわり

手間も時間もかかるけれど、天日乾燥を選んできた

ペルーで天日乾燥されているマカ

天日乾燥されているマカ

――マカモラーダを扱ううえで、大切にしてきたことは?

天日乾燥です。マカは収穫したあと、乾燥などの工程を経て加工されます。1999年当時に現地で見聞きしたのは、強い日差しを使って、時間をかけて乾かす伝統的な方法でした。手間も時間もかかりますが、原料を選ぶときに大切にしてきた工程です。

――機械乾燥ではなく、天日乾燥を重視した理由は?

機械乾燥は効率のいい方法ですし、それを否定するつもりはありません。ただ、私たちは現地で受け継がれてきた天日乾燥を重視してきました。産地だけでなく、収穫したあとどう乾燥させ、どう粉にしていくのかまで、きちんと見ておきたかったんです。

乾燥方法については、後年に研究も発表されている

――乾燥方法について、科学的な研究はあるのでしょうか?

後年になって、研究が発表されています。2015年の研究では、アンデス地方の伝統的な乾燥方法と、実験条件下での加熱乾燥が比較の対象になっています。

参考:Bioactive maca (Lepidium meyenii) alkamides are a result of traditional Andean postharvest drying practices(Esparzaほか、Phytochemistry、2015年)

ただし、これは1999年よりずっとあとの研究で、当時の原料選びに使ったものではありません。この研究だけで、特定の商品の健康効果や品質の優位性が判断できるわけでもありません。私たちが大切にしてきたのは、あくまで現地で受け継がれてきた乾燥の工程そのものです。

チャコン博士との交流と、モラーダを選んだ理由

ペルーのボンボン平原でマカを収穫する創業者

ペルーのボンボン平原でマカを収穫する創業者

5〜6年、毎年会って話を聞いた

――チャコン博士はどんな方でしたか?

マカの科学的な研究に取り組んでいた方です。研究資料や著書を通じてマカを調べていて、当時から関心を持っていました。5〜6年にわたって、毎年お会いする機会がありました。

――交流のなかで、とくに印象に残っていることは?

現地の生産者が長年の経験で知っていることと、研究者が科学的に調べていること、その両方に触れられたことです。産地の話も印象に残っています。博士との交流は、マカへの理解を深めるうえで、とても貴重な経験でした。

若い頃のグロリア・チャコン博士


若い頃のグロリア・チャコン博士

マカへの関心は、世界へ。

現地での経験と、分析への関心が重なった

――モラーダを選んだことに、博士との交流は関係していましたか?

関係していたと思います。もともと現地でモラーダが重宝されているのが気になっていたところに、研究や分析の話を聞いて、さらに興味が深まりました。当時、モラーダの分析結果が話題になったことも覚えています。

ただ、その分析がどの成分や性質を対象にしたものだったのか、いま確認できる資料では特定できていません。現地での経験と博士との交流、その両方が、モラーダへの関心を深めてくれました。

現地の人たちとのつながり

マカ祭りでペルーの伝統衣装を着た現地の人々

マカ祭りでペルーの伝統衣装を着た現地の人々

毎年のマカ収穫祭に参加して

――現地の生産者とは、どんな交流がありましたか?

毎年開かれるマカ収穫祭に、特別に参加させてもらう機会がありました。生産者や農業組合の人たちと交流できる、貴重な場でした。原料を仕入れるだけではわからないことも、現地に行って顔を合わせることで見えてきます。そうやって少しずつ、関係を築いていきました。

農業組合へのトラクター寄贈

ペルーの農業組合に寄贈したトラクター

ペルーの農業組合に寄贈したトラクター

――現地の農業組合への支援もされていたそうですね。

はい、土壌づくりを手作業でやるにはあまりにも大変だと思い、トラクターを寄贈したんです。マカの輸入を通じて、現地で生産している方々とは継続的に関わってきました。交流を重ねるうちに、当時私たちが良いと考えていたマカを、優先的に仕入れさせてもらえることもありました。

ここでいう「良いマカ」は、当時の経験や仕入れ時の判断によるものです。ほかの原料より客観的に品質が優れている、という意味ではありません。農業組合との関係は、マカを長く扱ってきたなかでも、とくに印象深い経験です。

学校への文房具寄贈

ペルーの学校への文房具寄贈に関する記録写真

ペルーの学校への文房具寄贈に関する記録写真

――地域の学校にも寄贈をされたのですか?

はい、現地の学校に文房具などを贈りました。現地との関わりは、マカを育てる人たちや農業組合だけではありませんでした。学校への寄贈も、地域の人たちと関わってきた経験のひとつです。

――1999年からの歩みを振り返って、いかがですか?

輸入を始めた頃は、検査への対応などいろいろ苦労がありました。一方で、現地の人たちと出会い、収穫祭に参加し、チャコン博士とも交流できました。トラクターや文房具の寄贈も、その歩みのなかにあります。

振り返ってみると、原料そのものだけでなく、現地で出会った人たちとのつながりが、いちばん強く心に残っています。1999年から積み重ねてきたこうした経験が、マカモラーダを選んで日本に届けている背景にあります。

ペルーの現地関係者との別れの場面

ペルーの現地の子供たちとの別れの場面

※本記事は当時の経験や考え方をまとめたものであり、特定商品の安全性、品質上の優位性、健康への効果を保証するものではありません。